蠍座キーワード「死」の理由アスペクトで考えると
「死」
物騒なワードで忌み嫌われがちですが、さそり座に星を持つ人が物騒なことになるという訳では当然ありません。
蠍座のキーワドに含まれる、
- 死と再生・復活
- 極限であること
- 極端な変動や変容
これらは、現代占星術の支配星の冥王星から関連付けられているワードです。
冥王星ではない別のアプローチから、蠍座キーワードの「死」について、思うがままに書いてみます。
正解ではないです。
わたしはそう考えている、だけの思考整理?のようなものです。
蠍座と牡羊座│アバージョンは認識できない
古典の占星術の仕組みで、30度と150度の角度関係あると、互いに見ることができないというルールがあります。
セミセクスタイルとクインカンクス(インコンジャンクト)は古い占星術ではアスペクトではないのです。
見ることができない
=認識することが出来ない
「生」と「死」の関係もそうだと、12サインの環に書いてあるような気がしてならないのです。
ふつうの人は生きている時に死んだ後のことなど見えませんし、そうなった時の自分の肉体の状況なんて考えたくない人が多いのではないでしょうか。
古典占星術では蠍座の支配星は、冥王星ではなく、火星。
火星は牡羊座と蠍座をルールしており、そのエネルギーは牡羊座では外側へと矛先が向けられ、蠍座では何がしかの内側へと向かいます。
混沌を超えた新しい12星座のサイクルの始まりとしての牡羊座は「この生命力で何に向かっていくか?」挑戦的でチャレンジングなエネルギーです。
しかしそれは、蠍座の場所からは見ることできない角度です。
- 牡羊座(生命力)から150度の関係で見えないから、死
と捉えることもできそうです。
見ることができない
=認識できない
=わからない存在
=得体が知れない怖さ
生命力に満ち満ちて生きているその瞬間に、自分の死んだ状態なんて、まず考えないだろうなと。
死の淵を覗いている時、対象の中に秘められた生命力を注視している瞬間に、生き生きしたフレッシュで活発なエネルギーを外部に向けることは、できないだろうなと。
生と死。
この相反するものを同時に意識することは難しいことだと、ホロスコープの環に書いてあるように、わたしは思います。
(相反するものでもオポジションの関係であれば認識できます。)
概念としては知っていても、気軽に手軽に認識することはできない、よく分からない物騒なもの。
よくわからない恐怖。
そこを超えた先にあるのが、変容。
天高く飛んでいた鷲は地に堕ちて蠍となり、死ぬような極限の状態をへて不死鳥に変容し、また天高く舞い上がって行くのです。
また、
惑星の品位から考えてみても、蠍座のキーワドに「死」が含まれることの理解が深まります。
記事に起こしました↓
人生は変容だらけだな、と思う
もし占いで「変容の時期です」か言われたら、どんな大層な出来事があるのか…と、良くも悪くも身構えてしまいがちになるかもしれません。
わくわくと期待していたけど
そこまでじゃなかった____とか
とんでもない嫌なことが
起きたらどうしよう_____とか
そんなデカイこと起きると思わなくてもよいと思います、何かが起きる前から。
後から振り返ってみたときに「あの時の変化は大きかったなー」と思うようなものなのだろうと思いますし、
もしそれが不遇な出来事だったとしても、結局んとこ、乗り越えていくしかないんですよね。
時間が癒してくれて心情が変化し、いつの間にか乗り越えていた、というケースもままあるでしょう。
そうじゃなくて、ふつうに。
結婚や出産や転職だって、それを経て自分が変わっていくのだから、変容と言えると思います。
わたし自身も仕事に関して、こんな職種に就くとは思いもしませんでした。何があるか分からんね。
とりあえず、まとめ
蠍座のキーワドに含まれる「死」という物騒なワードについて、古典占星術の視点を交えて改めて考えてみました。
現代モダンな西洋占星術と伝統的で古典な占星術、これらを混ぜてしまうことは賛否両論ありますし、わたしも正直なにが正解かなど分からないです。
ですが、牡羊座と蠍座は150度のサイン間アスペクトであり、それは古典占星術ではアバージョンという、双方から見ることが出来ない配置です。
そのため、
生命力あふれるフレッシュな牡羊座に在る時、同時に死の淵を覗くことはできない____
ということがホロスコープの環に示されているのかもしれない、と私は思います。
了。
